父への手紙
「沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ」
「七十五歳にもなると」と、ゲーテはそれから非常に晴れやかに言い続けた。「時おり死について考えずにはいられない。死を考えても、私は極めて平静でいられる。というのは、われわれの精神は全く破壊されない性質のものだということを、私は確信しているからである」……
父さん、こんにちは。お元気ですか?
僕です、豪人です。
お久し振りですね。ずっと手紙を書けなくてごめんなさい。前回の手紙
からは早いもので、……ああ、もう一年も経ってしまいました。一年なんてあっと言う間ですね。ほんとうに早い。父さんにとってはどうでしたか? やはり早
い、短い一年でしたか? それとも充実のあまり、かえって長く感じましたか? 僕にとってのこの一年は、これまで生きてきた中で最も短い一年でした。早
かった。直ぐに過ぎちゃった。確かにあっと言う間の一年でした。しかし、その中にあまりに多くのことを詰め込みすぎたばっかりに、二年、三年?……いや、
五年分くらいの苦しみをいちどに味わうという一年になりました。現実からかけ離れた(悪夢のような)毎日の連続。寝て、起きて、苦しみ。寝て、起きて、苦
しみ。辛かった。辛かったよ。本当に死んでしまいたかった。それが人間の出す最も人間らしい答えだと本気で考えたりもしました。……でも、生きています!
人が生きるということに理由なんてありません。生きるということは、神様が僕らに残した唯一の本能、野生に近い本能によるものなのだと思います。それが
なければ人間は必ず「死」を選ぶと思うからです。僕は動物の「生きる」という本能に勝てませんでした。そしてそのことを神様に感謝せずにはいられませんで
した。「生きるという本能」……それを僕らに与えたという事実があるからこそ、神様は神様と呼ばれ続けているのでしょう。
どうですか、父さんはどう思いますか? ああ、それより何より今は息子が無事であることを知り安堵しているところでしょうか、まあ、それはそうでしょう、……ねえ?
そうそう、書き出しから行き成りの《ゲーテ》の言葉、……どうです、これには驚いたでしょう? それとも僕のちょっとした悪戯心だと直ぐに気付い
て、思わず苦笑い、といったところでしょうか? どうです?——(あ、思い出したようですね?)——そうですよ。父さんはこの言葉を過去にいちど記憶した
ことがあるのです。
父さん、父さんは本を「全く」と言っていいほど読みませんでしたね(母さんも読まない。弟も。じいちゃんも、ばあちゃんも。
従兄弟たち。親戚中で本が好きなのは、おう、僕だけだなんて!)。しかし、僕は知っているのです。父さんがこっそり《ゲーテ格言集》というタイトルの文庫
本を大切にしていたことを。……
ねえ、どうしてその本を選んだのですか? 他にも色んな本がたくさん売られているのに何故、その本を父さんは手
にしたのですか? それを買うとき、どんな気持ちでしたか? それを読んでいるとき。……そして、そのゲーテの言葉たちから、父さんは何を感じましたか?
何を学びましたか? 生きるためのヒント? 人間を知る。……己を知るための手がかり?……愛?
父さん、今、僕の手元には、あなたの手にして
いたのと同じ文庫本があります。三年くらい前かなあ、僕も真似して買っちゃいました。あまり真剣には読んでいませんが、ときどきはパラリと捲って数行を読
み、「確かに」と共感しながら父さんのことを考えたりしています。父さんはどの一行をもとに自身を見つめていたのかなあ?……なんて。
(ああ、しかしその答えを知ることは出来ない。……)
ところで父さん、僕は前回の手紙のなかで、「泣き虫だけは治らない」と書いたように記憶していますが(そうでしたよね?)、やっぱりそれだけは治
りそうにありません。これはもう持病みたいなものです。諦めました。毎日のように大声で泣いています。開き直って。でもね、少しずつ、本当に少しずつです
が、最近その涙の訳が変化してきたのです。……意味、解りますか?……実は、そんな泣き虫を好きになってくれる人が、ええっと、……ええい、面倒だ! 告
白!
父さん、気付けば僕の目の前には運命の人が、……回りくどい? 仕様がないなあ。いや、でも父さんにはちゃんと伝えておかないといけませんね。大切なことですから。告白! 告白!
父さん、僕には大好きな人がいます!
そして、彼女も僕のことが大好きなのです!
(運命の出会いは、六年も七年も前でした。……)
聞いてビックリ。十五も年下なんだって! まあ、僕は数字が苦手だし、それに芸術の世界ではよくあることです。やっぱり数字じゃないところで生き
ているとそんなことは関係なくすんなり入り込める。何の違和感もありません。きっと彼女も僕と同じように考えていることでしょう。問題なし。問題、……?
ああ!……時々は問題も発生します。
父さん、「手が伸びる」と言ったら何を、誰を連想しますか?
先日こんなことがありました。夜も深まり、さあ明日の労務にそなえて眠ろうか、というとき。
気持ちの良いベッドにスルリと潜り込んだふたり。
「ねえ、明かりを消してよ」
「なんだい、君のほうが近いだろう?」
「うん、でも、……もう出られない」
「どうして?」
「だってお布団って気持ちいい」
「それはそうだけれど。……でもそれなら僕も同じだよ」
「ねえ、どうしてあたしたちって手が伸びないのかしら?」
「伸びるって、それは無理だよ。怪物くんじゃないのだし」
「なによそれ? 誰?」
「え、手が伸びるといえば、怪物くんだろう?」
「違うわよ。手が伸びるのは、ルフィーでしょう?」
父さん大変です!
ジェネレーションギャップです!
……なあんて、冗談ですよ。それを言ったら父さんなんて、怪物くんすら知らないかもしれませんものね。知っていますか、怪物くん? 知らないでしょう? あはは。問題なし。問題なし。
父さん、僕の涙は幸福のそれへと変化を始めました。彼女の顔を見ていると涙が次から次へと溢れ出てきます。父さん、僕は泣き虫です。でもいいのです。僕は
泣き虫ですが、最近では、そんな自分に慣れてさえしまえば案外いいものなのかもしれないなあ、と思うようにもなりました。何よりココだけの話(父さん、他
言は禁物ですよ!)、彼女も泣き虫なんです。「しあわせ」と言って、わあっと泣いたりしています。そしてそれを見て僕が泣いて、彼女が泣いて、僕も泣い
て、彼女も泣いて、僕も泣いて、気付くと彼女は笑って、僕も笑って、彼女が笑って、……そうしていることがあまりにも幸福なものだから、僕も彼女もまた泣
いて、……
ねえ、僕たち結婚するんですよ!
さてと、ついつい長々と書いてしまいましたが、……疲れていませんか? 読書嫌いの父さんには少々酷でしたでしょうか? いいえ、そんなことはあ りませんよね? 父さんは僕のことが大好きなのですから(そうでしょう?)。僕のすることなら何でも喜んでくれるはず!(そうでしょう?)。だってこのダ ラダラとした文章を書くことが僕の取り柄なのです。それが僕の得意技! 僕の能力! いやいや、決して優れているわけではありませんよ。それに能力とかそ んな大袈裟なものでは決して、決して、……ああ、僕に与えられた能力って何だろう?……父さん、僕は思います。それを見つけ出すことが、生きてゆく上にお いての最大の仕事であり、試練なのではないでしょうか? そしてそれを完全に理解できたときに初めて、自身を正しく理解し、他の人々を理解したのだと胸を 張って言えるようになるのでは? そうだ、きっと、そうなのだ。ああ、僕は頑張ります。僕自身を理解できるように頑張ります。己を知る。そして父さん、そ うなったときに僕は本当の意味で、初めてあなたを知ることに、——
(あっちゃん!——)
ああ、キッチンで愛する人が僕を呼んでいます。きっと助けが必要なのでしょう。行かなきゃ!
ねえ父さん、さっき僕は「生きるということに理由なんてない」なんて言ってしまいましたが、それは誤りでした。取り消します。
彼女の存在、それが僕の生きる理由です!
僕は彼女に「君は僕のために生きてはいけない。誰かのために生きるというのは愚かなことだ。自分のためだけに生きなさい。そしてそうすることによって相手
を幸福に導くことができるのだとしたら、……素晴らしいじゃないか! それこそが本当の意味で、相手に幸福を与えたということになる」——こう話していま
す。でもね、……僕はこれから彼女のために生きようと思っているんです。それは彼女のために死のうと思うよりも、ずっと彼女のためであると思うのです。そ
れにね、えへへ、彼女が言うんです。「ずっと死なないでね」って。ああ、死ぬものか! 死ぬものか!
父さん、僕は彼女のためにずっと生きようと思います。
父さんも大賛成だと思います。そうでしょう?
それに、父さんの分まで長生きしなきゃ!……ああ、父さん、……逢えなくなって、もう三年も経つのですね。……
(あっちゃん!——)
あ、行かなきゃ!
さようなら、父さん。また夢で逢いましょう!
ねえ、きっと、きっと逢いましょう!
父さん、大好きですよ!
大好きです!
ゲーテは続けて言っています。——「それは永遠から永遠へ働き続けるものだ。まさに太陽にも似ている。われわれの肉眼にだけは沈んで行くように見 えるが、実際は決して没することなく、絶えず輝き続けているのだ」——ああ、父さんは太陽です! 太陽です! 僕の中で永遠に輝き続ける太陽です!
それでは父さん、ごきげんよう!
さようなら!
お元気で!
平成二十年十二月十五日
豪人
追伸。
懐かしい写真を発見しましたので同封しておきます。
近所の神社。覚えていますか?
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コメント
私もロクロ首ならぬロクロ手が欲しいと思うことがあります。
マイ・ダーも自分で照明を消さないのですよ。どんなに私がタヌキ寝入りしていても、「こそこそ・・・・」と言いながら、照明を点けたままで、自分の布団に潜り込むのです。そして、
「あっ、まぶしい!もう光はいらぬ」とのたまうのです。たしか、ゲーテの最期の言葉は「もっと光を!」でしたよね。
だから、私は「ちっ」と言いながら消灯して、起きたついでになんとなくmixiしたりして夜更かししちゃうのです。
もし、ロクロ手があれば、アタシはよい子の時間に就寝できるのに!
投稿: らん丸 | 2008-12-26 21:58
お父さん、私も夢で逢いたいです!
投稿: チョコレート | 2008-12-27 00:06
★らん丸さん
起きたついでに夜更かしだなんて、……どんな遠くまで歩かないとスイッチに辿り着けないような豪邸なのですか!
でも、ユア・ダーの気持ちはよく解ります。なんだか気持ちいいのですよねー。
どうしてなんだろう?(笑)。
★チョコレート
ああ、きっと逢えると思うよ。
彼は僕のことを大好きだったハズだから、僕の大好きな君のことが気になって仕様がないと思うんだ。そのうち挨拶に来るんじゃないかなあ。上手に喋れないくせにね(笑)。
そのときは宜しく!
投稿: 豪人 | 2008-12-28 17:23